静かな退職はじめました

会社員は苦しい、しんどい、もーイヤと思っております。早く自由になりたいアラフィフ。何とか打開策を思案しております。

迫りくる黒字リストラ

 最近、企業の黒字リストラが目立つ。M電機やPソニックなど大規模にやっているニュースが報道されている。

 

 メーカーに属する会社員としては痛ましい。実際職場をみても50歳以上はマネジメントに有能な一部を除いてほぼ居なくても業務は回ると思う。要するに居ても居なくても大した影響はない。

 

 昔はその道何年の生き字引みたいなノウハウを持つベテラン年配者は大事にされた。デジタルデバイスの発展でノウハウが文章化、映像化され一元化して共有されてしまった。ネットをたたけば誰でもユビキタスにその情報にアクセスできるのだ。こうなると経験知識など以前ほどに価値を持たなくなり、年配者はただの口うるさいオヤジでしかない。

 

 企業はコスト高の年配を切ってスリム化をはかり、その余剰金で若手を多く採用したいのである。ワシも経営者なら迷わずそうするだろう。

 

 ただでさえ国は少子化対策として70歳まで雇用義務化に動いているのである。企業からみれば、冗談はよしこちゃん、である。会社がまるで老人ホームと化すではないか。そうなる前に手を打ちたいということも当然あるのだろう。大局でみれば老人にも働いてもらいたい、でも我が社には老人は要らない。

 

 うちでも黒字リストラが始まったらどうしようかな。悩む日々である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閃輝暗点になった

 先日、人生初の閃輝暗点を経験した。体の不調ばかり目立つ。なんか視界がギラギラしてるなと思った途端いきなり前触れなくピカチュウの稲妻のようなものが現れた。噂には聞いていたので慌てることはなかったが、知らなかったらビビる。

 

 閃輝暗点、突然視界にギザギザした稲妻模様の光が現れ、その後徐々に広がり、視界の一部が見えにくくなる現象で偏頭痛を伴うことが多い様。英語でMigraine aura(片頭痛オーラ)という。洒落た名前である。

 

 芥川龍之介の作品『歯車』には、視界に「歯車のようなもの」が視界に現れる描写あり、閃輝暗点に悩んでいたことは有名。創造性の高い人物が閃輝暗点を経験していたという事例が報告されることから、一部では「閃輝暗点は天才に多い」説もあったらしいが、いまこの説は完全否定された。まことに残念である。

学校課題でAI使うべきか

 AIで夏休みの宿題の読書感想文を書いてもらうと5秒で完成する。便利なものは使ってもいい派である。もちろん使わなくてもいい。ここは選択できるのがいい。

 

 例えば、大阪から東京へ行くのに体力維持のために歩いていけ、はおかしい。新幹線や飛行機を使うべき。

 

 とはいえ、たまには「歩いてみる」ことで得られる気づきもある。自分の力で考え抜いた文章には、独特の味わいや達成感があるのも事実。だからこそ、AIと自分の力をうまく共存させるのがベストなのかも。

 

 このブログはAIレスで綴っている。文章を量産するのが目的でなく、気づきを得るのが目的だから。

 

AIは人を楽にさせるのか

 AIは人を楽にさせるのか、それとも社会を崩壊させるのか

 

 使い方次第、人によるということだろうが、AIによる業務代替が進む一方で、仕事を失った人は貧しくなり、治安も悪化する。楽になるのは良いことだが、現状、仕事を奪われた人がのんびりと生活できないところに矛盾を孕んでいる。

 

 便利なAI普及はまさに現代のラッダイト運動の引き金になるかも。かつてイギリスで起こったこの運動は、最終的には政府の強硬な弾圧によって収束、力による鎮圧と制度の変化による吸収で終焉を迎えたよう。

 

 そうなるとAI技術の進展と社会的損失(雇用喪失、社会不安定)は天秤にかける必要ある。解決策は、所得の再分配ベーシックインカムの導入しかないだろう。

マンガみたいになってきた

 古代の民族移動は寒冷化による食料不足や居住困難が原因でしたが、現代は暑すぎることが移動の引き金になるのかも。

 

 暑さ(熱気)のためハンディ扇風機なしでは外で過ごせないなど、アニメ、ナウシカのパロディではないか。

 

ナウシカの世界                 ⇨現代人の世界

・有毒な瘴気が満ちた腐海          ⇨有害な熱気が満ちた都会

・瘴気マスクが必要        ⇨ハンディ扇風機が必要

・巨大オームが生態系を守る         ⇨巨大発電所が人間社会を守る

・風の谷の人々が自然と共生         ⇨都会の人々がエアコンと共生

ナウシカメーヴェで風を読む  ⇨現代人が天気アプリでゲリラ豪雨を読む

素質と環境は大事2

 人の能力は才能(生来の遺伝的特性)、環境、自身の努力で決まる。この割合としては3-5割:3-4割:1-3割の傾向であるらしい。

 

 確かに周囲をみて感覚的にはそんなもんかなと思ったりする。しかも、遺伝的特性と環境は大抵セットで提供される場合が多いため、そうすると半分以上が制御できない所で決まってしまう。偶然にもこれらを最初から持たざる者にとっては現実の厳しさと向き合い、苦悩することになる。

 

 ライオンが強くて百獣の王でいられるのは、毎日筋トレやスキルアップを行って強さ維持に努めているからではない。身も蓋もないが、もともと強いから、ということである。このことから、才に恵まれなければ、頑張っても無駄ではないかと心折れ、卑屈になる気持ちもわかる。

 

 そのマイナス感情から解放される方法がある。他と比べなければよいのである。独自の道を行けばよいのである。一種のあきらめと言ってもいい。人はストレスを緩和するために無意識にこの手法を取ってきたはず。だからこそ、才能抜群で環境にも恵まれ、常人の何倍も努力できる全てが揃った超人的なパフォーマンスを見ると嫉妬を通り越して尊くさえ思えるのだ。

中高年の雇用ニーズ

 中年の転職割合が以前と比べて増えているとのことだがミスマッチややり難さも多そう。実際にOJTされることもなく放置されるとか。業務指示されないとかあるらしい。

 

 いくら前職での知識や経験があるからといって、一人で仕事をしているわけではないだろうから、新しい会社では何もかもほぼ最初からになる。独自のルールに慣れる、人間関係を構築していく。慣れるまで時間もかかる。同期がいるわけでもない。おそらく責任者も若いため、お互いやりづらいだろうと思われる。

 

 この手間を考えると飛び込むのに躊躇してしまう。やはり転職はしんどそうかな。今のまま耐えるしかないのか。。。